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読書メモ(続き): 築地市場はもういらない?

P1070171 今日は 「ミシュラン東京版」の内容発表 だったとか。
事前に関係者?が三ツ星店の情報をしゃべり散らしてた などという話もありますが。
個人的には今後あまり縁の無さそうな話なんで、まあテキトーに読み流す方向で。

それより個人的に関心があるといえば、漫画『美味しんぼ』の第100巻(!) に、富士宮のB-1GP でお会いした 「八戸せんべい汁」 の人が出ていたり、あの 海の珍味フジツボ も紹介されているので嬉しかったのだけど。

しかし漫画自体の評価は、上掲リンクのクチコミ(Amazon)で書かれている通り・・・☆

( 写真: 先週の日本橋某所。SAYURI様の楽しいボジョレーパーティにて♪ )

さて 『冷蔵庫で食品を腐らす日本人』 読書メモ の続き。個人的関心のキモである第4章の 「築地市場はもういらない?」 と題する記述。

なお関連情報としては、“卸売市場”をめぐる全国的な状況は、当ブログでも過去記事で NHK『クローズアップ現代』の視聴メモ を書いたので、よければご参考に。

また中央卸売市場の築地から豊洲への“移転”に絞った観点では、猪瀬直樹氏がコラムを書いておられる ので、これも参考になる。( 今回はリンクが多いな・・・☆ )

以下、読書メモ(続き)の本題です。

春の築地 まとめ記事は → こちら / 最近の過去記事は → こちら

掲載日「2007/11/19」

※ 前回記事に続き、要約は当ブログ筆者(つきじろう)が自分自身の参考用として大まかにまとめたもの。不正確な点や誤解があれば、その責はすべて筆者自身にあります。また当然ながら以下は単なる要約であって、筆者自身が同書の主張に全面賛同しているわけではありません。


築地の変遷:

 築地市場が2012年には豊洲に移転することが決定した。
( つきじろう注: 2007年11月8日の報道によれば、豊洲の土壌汚染が予想を上回る状況であるため東京都は豊洲市場の開場を2013年3月になると発表した )

 理由は諸説あるが、根本的には日本の食品流通のあり方が、築地(大型取引市場)に合わなくなったからではないか。

 80年代ごろ、時代はバブルとはいえ食品の流通環境は良好とは言えず、街のスーパーと築地では魚の品質は段違いだった。
 また、そのころ築地の場内には素人は近寄りがたい雰囲気があった。
 ( 当時、著者が築地で買った品物の例を列挙 )


築地開放はマスコミによって:
 
 プロのための市場だった築地が、今世紀に入る頃から大きく変わった。
 一般のシロウト向けに門戸を開いたとも言えるのだが、著者は実のところ「市場の存続をかけて、なりふりかまわず売り上げ確保に出たのだろう」、と見る。

 バブルの80年代、マスコミはこぞって銀座や六本木のレストラン有名店を紹介したがネタ切れになるのも早く、そこで目をつけたのが築地だった。

( つきじろう注: 幸いにも築地は、都内の大手マスコミが集中するエリアのド真ん中にあることが、先日の日本テレビ『ズームイン・サタデー』番組内でも強調されていた ) 

 しかも一般のレストランと違い、築地の飲食店ではマスコミが一種の 「トリック」 を使いやすかった。
 
 それは 「築地は世界中から食材が集まる」 → 「そこで働く人は当然、最高の味を知っている」 → 「そんな人たちが通う店は、とびきり美味しい料理を出すに違いない」 という図式。このマスコミの「トリック」にのせられて、一般大衆が築地へ流入した。

 しかし現実には、「主に流通業である築地の労働環境」 と 「味覚の訓練」 は、全く関係が無い。
 
 最初はシロウト客を嫌っていた飲食店も、その集客効果を認識し始めた90年代にはマスコミに積極的に協力するようになった。
 飲食店だけでなく各種食材の販売店も、キロ売り専門から100グラム単位の対応を次々と始めることに。

 シロウト客も入れる世界最大の生鮮食品市場、おまけに銀座から徒歩約10分というアクセスの良さもあって、近年の築地市場は大いに活況を呈することになった。

 しかしながら90年代の後半ごろから、生鮮食品の流通状況が変わり始める。
 大手スーパーなどが中央卸売市場を通さず、産地との直接取引きを積極的に導入するようになったのである。
 
 築地以外に急激に増加した大量仕入れの格安店。食材に限らず、場外市場にあった各種商品が、築地に行かなくても築地より早く安く豊富な品揃えで購入できる。
 これにより旧態依然とした築地の小売店は徐々に消える運命となった。
 
 
公設市場の昨日・今日・明日:
 
 江戸時代には日本橋に魚河岸が置かれ、「どんな魚が、どのくらい入荷しているか」を確かめるには、誰でも魚河岸に行って見てみるしか方法が無かった。
 
 つまり魚河岸は「物資の集積地」であると同時に、「情報の集積地」 だった。
 
 1923年の関東大震災で日本橋も被災し、行政(当時の東京市)は市場を築地で再編した。
このとき行政側には、米騒動での “売り惜しみ” や “買占め” に苦慮した経験から、「公設の市場で公正な取引環境を確保する」 という目的があった。
( つきじろう注: 現在も築地市場(場内)は東京都の管理下にある )

 築地市場において当初の輸送手段は鉄道であったが、戦後の高度成長期にはキャパシティーが追いつかなくなり、トラック輸送が主体となる。
 高速道路網の発展と共に、築地の入荷取扱量は急増した。
 
 この時代、依然として築地市場は 「情報の集積地」 としても主役だった。
 全国の仕入れ業者が直接、足を運んで“情報”を仕入れる価値のある場所、それが築地市場だった。
 
 ところが現代の世はインターネット時代、築地の場内でも場外でも、情報の大半はネット上で発信され受信される環境に。
 インターネットにおいては売り手も買い手も、その数は築地に出入りする業者をはるかに上回る。

 生の本マグロなど、ごく一部の商品は今でも現物を直接見なければ取り引きが難しいのは事実であるが、圧倒的に多数派であるスーパーが大量仕入れする生鮮食品などは、物量も価格も品質も、ネット上での情報交換で十分に間に合う時代・・・ それどころか築地に行くより、ネットのほうが役に立つ時代なのである。

 全国の生産地(水揚げ地)から商品を築地に集め、それを改めて消費地に出荷することを思えば、生産地で水揚げされた時点で取り引きを成立させ、消費地に直接送るほうが、あらゆる面でムダが無いのは誰にでもわかる当然のこと。
 
( つきじろう注: この場合でも行政管理下にある中央卸売市場のメリットがあるとすれば、それは著者が前述した「売り惜しみや買占めを防ぎ、健全な流通市場を維持する」という1点に尽きるだろう。
 「物理的な集積」は、誰がどう見ても貴重な「資源」(カネと時間と燃料、それに人的労力)と、生鮮食品にとって死活的に重要な「鮮度」の浪費を、絶対的に伴う。
 物理的な集積を必要とせず、また情報の集積にも地理的拠点が必要ないとすれば、中央卸売市場が地理的に存在する必要は無い、ということになる )

 
 
20世紀の残像 - 築地のその後を読む:
 
 現在、築地市場の環境は極めて悪い。
 エンジンで走る荷車のターレットは生鮮食品に排気ガスをまきちらし、場内で働く人々の喫煙率は極めて高い。
 
( つきじろう注: 事実として、空気を汚さない電動ターレットの導入が全国の卸売市場のなかで最も遅れているのが築地である。
 また場内で魚をさばく職人が、タバコをふかしながら高級魚を扱っている光景は「あちらもこちらも」と言えるほど多い。
 じつは筆者が場内で動画を撮影した際も、くわえタバコで魚を扱っている職人が画面に入ることが非常に多かった。お店の看板も写っていたのでブログに掲載すべきか迷ったが、あまりにも多い喫煙者のうち、たまたま画面に入っただけのお店を記事化することは躊躇したので、それらのシーンは掲載前の編集でカットした。
 かつて、「くにろく 東京食べある記」の、くに様が築地のラーメン店で「くわえタバコでラーメンを作るなんて・・・」と書いておられたが、あれは飲食店に限らず、築地市場の古い世代の人には珍しくない普通の光景である )

 
そんな環境劣悪でゴチャゴチャした築地市場に、近ごろは一般観光客を見込んだ小ギレイな寿司店や海鮮丼店、コンビニなどが続々とオープンするようになった。
 
昔ながらの場外商店も、時流に敏感な店では一般客向けに商品販売を小口売りで対応したり、イベントの演出に協力したりと忙しい。
 
 このまま場内市場が豊洲に移転しても、しばらくの期間は場外市場は一種のテーマパークとして命脈を保つだろう。
 
このエリアにおいて、築地場外市場のお店は現在のゴチャゴチャを維持すべきであって、下手に再開発とかいって立派なビルに入ったりしないほうが良い。なぜかと問うならキレイに整備された築地共栄会ビルの閑散ぶりを見れば、その理由は明白である。

 築地を訪れる観光客が求める姿を、場外市場は維持しなければならない。しかし、それでも客足が長続きするとは期待できないのだが。

 この時代、漁港や空港に大型の保冷倉庫を設置して取り引きはインターネットで済ませ、消費地へ直接出荷することが、最も効率よく鮮度も時間もムダにしないために必要なこと。

 BSEや鶏インフルエンザの影響を受けた欧州、また富裕層のシーフード嗜好が爆発しつつある中国、これら諸外国を相手にして日本が国際市場で「買い負け」している現実が報じられた2006年以降、この国の流通体制が今までと同じではダメだというのは明らかではないか。


 「築地に行けば良いものが安く買える」と言われた時代は20年で終わった。
 次の時代は、もっと早く変わっていくに違いない。


< この記事とは全く関係ないオマケ >
 ネットが果たす役割を、まるで理解できない旧世代への率直な反応はこちらで。

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コメント

うーん、これを書いた人は自分で通販で魚を買ったことが
ないんじゃないかな?1000円の魚に1000円の送料というのを
経験すれば、市場の必要性がわかるはず。それにいくら冷凍技術が
進歩しても所詮冷凍は冷凍でしかないのよねぇ。

投稿: ろ | 2007年11月19日 (月) 21時49分

◆ろ様、
 
 確かに、つっこみどころの多い文章ですが(笑)
 
 著者の視点は、あくまでも流通全体のトータルコスト
 が増えるか減るか、という点にあるようです。

 この前の章において、著者は「普通の人が誰でも
 近所のスーパーで鮮度の良いものを好きなだけ
 選んで買える時代なのだ」と述べています。

 個人単位の消費者が日常生活で、いちいち一匹づつ
 魚をネット通販で吟味して買うことは今のところ
 一般的ではなく、生鮮食品の全体量から見れば無視
 しても良い程度、と考えられるんでしょうね。

 あくまで物流の全体量に占める割合からして、
 大手スーパーなどの大量仕入れ・大量流通先が
 いちいち築地に集積されたものを取り引きし、
 再び全国へ発送することは、時間と資源と鮮度の
 大いなる浪費である、と。
 
 生のホンマグロや料亭で使われるレベルの高級魚
 など、実物を見ないと品定めできない一部の商品は
 これからも集積して取り引きする市場が必要だが、
 それを除けば、物量の大半を占める取り引きには
 地理的拠点としての市場は必要ない、としています。
 
 一般家庭の需要を満たす、いわゆる大衆魚については
 産地・水揚げ日・体長・体重・脂肪率などのデータを
 ネットで情報交換すれば取り引きには十分だし、現に
 多くの業者がそうする時代ですから。
 
 これにより築地市場の取り扱い量が減ってきた昨今、
 著者の言う “なりふりかまわず売り上げ確保のため
 築地市場の店が一般客を受け入れ始め、小口売りや
 一匹単位の通販まで対応するようになった” という
 ことでしょう。
 
 それこそ「1000円の魚に1000円の送料を払ってでも」
 買ってくれるお客様がいるのですから、と・・・!?

投稿: つきじろう | 2007年11月20日 (火) 05時40分

うーんとですねぇ・・・

>築地市場の店が一般客を受け入れ始め

これ、裏を取って書いているんでしょうかねぇ。
私の聞いた話では40年前に既に一般客でも買い物が出来た
という話があるのですよぉ。ただし、こちらも裏は取れて
いないので、滅多にかかないのですけど。どうも取材の
甘い本という印象を受けます。そうそう、猪瀬も目の
付け所はいいけど、取材が甘い一人だと思います。

投稿: 鮟鱇 | 2007年11月20日 (火) 12時11分

◆鮟鱇様、

 あらら・・・すみません、私の要約が下手なのでポイントを
 抜かしてしまい、誤解の余地があったかもしれませんね。

 著者は過去25年ほど、築地の場内・場外に通っていたそうです。

 んで80年代の場内は、素人がのんびり買い物できる雰囲気
 ではなかったことと、その中で買うとすればキロ単位でないと
 相手にしてもらえなかったこと、また場内に行くときには
 竹カゴとゴム長ぐらいの身支度は必要だったこと、などの
 ことから、「玄人筋の仕入れの場であって」、「素人さんは
 はじきとばされていた」と書いています。

 また同じころ、場外については「場内ほどビリビリしては
 いなかったが、来ているのは商売人ばかりで素人には
 近づきがたい場所だった」としています。

 この状況から「今は変わった」というのは、素人の客が
 場内に入ってきて、アジだのアサリだのを1キロ未満で
 買うのも歓迎するお店が増えてきたことを指しています。

 鮟鱇様のおっしゃる「40年前に一般客でも買い物ができた」
 というのは、プロと同等にキロ単位で買った場合のことでは
 ないかなと・・・。

 あと猪瀬氏については、取材の甘さという点はさておき、
 あくまで石原さんに指名された東京都副知事という立場を
 念頭において読むべきでしょうね。

投稿: つきじろう | 2007年11月20日 (火) 13時14分

すいません、またやっちゃいました、ハンドル。

で、突っ込んだ話はまた今度会った時にでも。

投稿: ろ | 2007年11月20日 (火) 18時21分

◆ろ様、

 は~い♪

投稿: つきじろう | 2007年11月20日 (火) 18時31分

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