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読書メモ:『冷蔵庫で食品を腐らす日本人』

昨夜は、お台場のほうで 花火 が上がっていてキレイだった~♪
( → 関連: 東京湾大華火祭2007
何のイベントかな?、こんなのを晩秋に見られるとは・・・。

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Dougacap_2 過去の動画ネタは、
主なものを新形式でケータイ対応に・・・
ほぼ作業完了。
 
さて読書メモなど。

春の築地 まとめ記事は → こちら / 最近の過去記事は → こちら

掲載日「2007/11/18」

築地市場について辛口の言及もあるようなので、とりあえず買ってみることに。

え?、「 でもアナタは疲れ目だから目を休めるって言ってたでしょ 」って?

ええ。そうなんですけど。でもね・・・

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土曜の朝、ラーメン二郎(三田本店)の行列 で読んじゃった(笑)。
※ この日は出遅れて9時半すぎに行ったところ、1時間ちょいのヒマつぶしに。

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以下、おおざっぱな要約。青字強調などは個人的アンダーライン箇所。

ちなみに筆者による築地ネタや、「埼玉B級グルメ王決定戦!」など昨今の「ご当地B級グルメブーム」を考える際にも、かなりヒントとなる視点の多い本だったと思うのです。


第1章 巨大化する冷蔵庫 - 詰め込みすぎて食品をミイラ化させる現代人

 <同書の帯封より>「巨大な冷蔵庫を使いながら、反原発なんて言うな!」

 巨大化を続ける家庭用冷凍冷蔵庫が日本人の食生活の激変ぶりを示す。
 毎日の食卓に新鮮な野菜は並ぶのに、冷蔵庫には期限切れ食材の山。
 2人暮らしが実際に必要とする食材をリストアップすると、現在標準的な家庭用冷蔵庫(容量400リットル)の半分もいらない。

 著者の場合、冷凍庫の最も重要な用途は「食品の酸化防止」。お茶も煮干しもスパイスも冷凍する。築地で上等な煮干しを買ってきても常温で4~5日も放置すれば脂が酸化してしまい、そんな煮干しで味噌汁を作ると臭くてたまらない。

 いつでも近所で良質な食材が買える生活環境なのに、わざわざ食材を買い込んで「早く食べなきゃ傷んでしまう」という状況に自分自身を追い込むのは、なぜか? 


第2章 「しまつ」をしよう - よりよい食生活を続けるために
 
 「よりよい食生活とは?」=「合理性に基づいて、しまつすること」
 しまつの「掟」7ヶ条。

 1.台所の調理台は「調理場」であって「物置き」ではない。
 2.使わぬ道具はしまつする。
 3.流しにものを置かない。使った道具や食器はその場で洗う。
 4.台所道具のメンテナンス
 5.台所の洗い道具は乾燥させる。
 
 食品のしまつ考
 豆腐、野菜など、ほんの少しの工夫で食材を傷みにくくできる例を紹介。
 
 6.食品保存編 - 水分を抜く。
  果物をドライフルーツに。「打ち豆」って知ってますか?、魚も肉もキノコも米飯もパンも、冷蔵庫に頼らず干すだけで長期保存できる美味しい食材に。
  干物ばかりと言わず冷蔵庫も使うなら、魚はマリネに粕漬けに味噌漬けで。
  野菜のしょうゆ漬けは60年前なら住み込み奉公人のメインディッシュだった。

 7.足りないくらいしか料理するな!
  冷蔵庫に入れたまま始末に困るのが「もらいもの」。
  食料品を贈ることが「喜ばれること」だった時代は終わっているのでは?
  ご近所づきあいで日常的な「おすそわけ」の習慣も今や弊害が多すぎる。
  気づかい、孝行、思いやり?、相手先の「しまつ」に責任を持たぬ自己満足。
  ( ※つきじろう注: この部分、かなり自分でも耳の痛い話 )


第3章 食の下克上 - 高級食と大衆食が簡単に入れ替わる時代

 ものの価値は絶対的なものではない。1960年代に「寿司」は高級食と言い切れるほどの存在ではなかったが70年代から80年代に高級化。しかし90年代には回転寿司の登場で一気に大衆化。誰でも安心して食べられる寿司の時代へ。

 戦後の食糧難を救った食材のひとつが鯨。しかし当時のクジラ料理に感激した人も、同じものを今から改めて食べたら心底から「うまい」とは思えないだろう。
 とはいえ今と昔では食べられるクジラの種類が違う(昔はシロナガスクジラ、今はミンククジラ)ので、基本的に今のクジラは大して美味しいものではないため、国際捕鯨委員会が日本の捕獲頭数を増やしても消費市場ではダブついてしまう。
 ただし値段が下がれば、必ずや美味しく食べやすい商品も出てくるはず。

 魚肉ソーセージは、食の激変の証言者。1952年に誕生、その2年後に水爆実験による放射線汚染が騒がれてマグロが売れ残り、安値となったところで魚肉ソーセージの原料に。

 学校給食では、ごはんよりパンを主食に据えたため従来型の魚料理よりもソーセージが食べやすい。そして流通環境も悪かった時代、密封パックされた魚肉ソーセージは安心して使える貴重な存在であり、しかも調理に手間のかからない便利な食材だった。

 これらを追い風にして急拡大した魚肉ソーセージも、高度経済成長と輸入規制緩和により「本物のハム・ソーセージ」が安値で輸入される時代になると「添加物だらけのニセモノ」とバッシングの対象に。

 著者いわく、本来、危険な添加物を使わない安全な食べものを求めての消費者運動であれば、添加物をイケナイと叫べばよいのであって、製品そのものをニセモノと呼ぶべきではない。
 
 著者いわく、その意味で言えば「すし」とは本来、塩漬けの魚をごはんといっしょに漬け込んで長期間発酵させたもの。江戸っ子が酢飯の上に魚肉を乗せて握ったものを “本物の寿司” などと呼んでいいのか?
 
 ところが90年代から魚肉ソーセージ復活の時代となる。欧米型食生活による生活習慣病(当時の「成人病」)が問題となり、低カロリーでヘルシーな食材として魚肉ソーセージなどが注目される。ほかにも「ニセモノ」と言われ迫害されたカニカマボコも、原料はスケソウダラで本物のカニより低カロリー低脂肪の優良食品と見直された。

 さすがに「高級食材」とまでは言えないが、ニセモノ扱いされた被差別食品ではなく「本来の魚肉ソーセージ」として正当な評価を取り戻した時代。
 これがさらに、BSEと鳥インフルエンザで肉離れした欧米人の食市場の需要を受けて大変なことに。

 「ホルモン焼き」などの内臓系もまた下克上食品。韓国併合で日本に渡ってきた朝鮮の人々が、戦争のあと資本も無しに始められる商売といえば、たとえば当時は日本人が捨てていた家畜の内臓を利用すること。

 最底辺の飲み屋で出されるものと決まっていたから大藪春彦氏の小説『蘇る金狼』でも、その時代としてはネクタイを締めたサラリーマンが飲み食いするのは恥ずかしい場所としてホルモン焼きの店が登場する。
 
 ところが80年代、「愛川欣也の探検レストラン」などから築地市場内や下町の食堂をメディアが紹介するトレンドが発生。「フツーの人は知らないが、じつはこんなウマイものがある」とPRしたことから急激な需要が呼び起こされて、たちまち高級稀少食品に。

 著者いわく、これまで捨てていたものを美味しく食べられるようにするのは資源保護の面から見ても正しい。マスコミがはやしたてると弊害は大きいが、食材の再認識を促すこともある。

 マグロの頭やカマも、マスコミが「これを知らなきゃ“通”じゃない」と紹介しなければ日本人は捨てるばかりだったのではないか。かつては著者が築地でタダ同然で手に入れていたマグロのアラも、いまや予約で完売状態。個人的には悲しいが、食材の有効利用としては喜ばしい状況である。
 
 価値なきものに価値を。今のところ捨てられているものを食べられるようにする工夫などから、これからの下克上は「上から下へ」の転落は減り、「下から上へ」の有効活用型が増えるはず。
 テレビ的な「グルメベスト10」といった順位づけは、もはや下品な行為である。

 魚の養殖技術もまた、「高級魚」の位置づけを時代とともに大きく変えてきた。
 著者が80年代に築地で買った養殖魚は、鮮度は抜群でも脂くさくて美味しいとは思えなかった。それが90年代後半から味が良くなり値段も安くなって大喜び。

 2000年代は高級魚の養殖技術が開花期を迎えている。マグロの畜養は世界的に広まって商業ベースに乗っており、フグの養殖では外界とは完全隔離された陸上プールで抗生物質をほぼ不要とする技術が実用化の段階にきている。

 他方、サケなどは昔の日本人なら脂が少なめの天然サケを強烈な塩漬けにして食べていたのが、最近は脂たっぷりの輸入ものを甘塩で。
 国産の天然サケが売れ残るので中国へ輸出し、中国から加工品をBSE+鳥インフルエンザ禍中の欧州へ輸出している。その欧州から日本は養殖サケを輸入しているのだから、いったい何をやってるんだか我々は。


 自然界の変化や人為的な規制により、その時その時で食べられる食材は変わるのが当然だし値段もそれにつれて変わるのが必然。牛肉をいつでも大量に生産したいという要求からBSEが発生したことを忘れてはならない。

 24時間365日、同じものが必ず店にあることを当然と思ってはならない。足りなくなったから緊急輸入だとか言って異常な出費をするぐらいなら、これまで注目していなかった他の食材をさがして「下から上の下克上」を試みるのが安全な食生活への道である。
 

☆ と・・・ ここまで要約を書いたところで目が疲れてきたので中断。
 言うまでもありませんが、筆者としてはこの本の趣意に全面賛成しているワケではありません。
 
 続きは、また改めて。



< 以下、続章 >
 
第4章 食の流通 - 築地市場はもういらない?
 
第5章 食の履歴書 - 食にまつわる実体験を公開
 
終章 日本の食環境は今日・・・
 
まだまだやれる日本の食環境

冷蔵庫の扉を静かに閉める

あとがきにかえて
 

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コメント

このあいだ「紀元」の黄さんが話したことを思い出しましちゃいました。

中国ではそれぞれの村の料理があって、隣の村の料理を別の村が作ることはないって・・・。で、最近、流通もよくなって北京にも南から野菜が入ってくるようになったけれど北京の人は野菜を食べない・・・。

そんなことを言っておられましたね。流通が発達していないゆえの地産地消・・・。善し悪しは別として(^^;

投稿: 早坂 | 2007年11月18日 (日) 13時33分

◆早坂様、

 グリーンランドに移住したバイキングが死滅したのは
 魚を食べることを許さないという、何らかの禁忌が
 あったのでは・・・、という説が有力だそうですね。

 流通の発達に伴う考察は、この本の次章で。
 築地市場のファンとしては反発を感じつつも、まあ
 半分は正論だよなぁと思う内容です。

投稿: つきじろう | 2007年11月18日 (日) 14時08分

ある観点から見ると、
某企業の「あんこ」の使い回しって、
日本の「もったいない文化」のすばらしい一例なんですよね( ̄▽ ̄)σ

ただ、
作りすぎだったのが、ちと問題かな・・・( ̄∇ ̄;)

投稿: つたまる | 2007年11月19日 (月) 01時49分

◆つたまる様、

 食べ物だけでなく交通機関でも、限りある資源の
 効率的利用に関しては、理想的究極的に最高!と
 言える素晴らしい例が、じつは日本にあるそうです。
 
 ご存知でしょうか?

 大都市圏の通勤電車、それも「殺人ラッシュ」と
 言うのがふさわしい、限界まで人を詰め込んで走る
 電車こそ、交通機関におけるエネルギー効率の
 チャンピオンなんですって。

投稿: つきじろう | 2007年11月19日 (月) 06時35分

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