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読書メモ:2007/07/21

P1030855 掲載日 「 2007/07/21 」 
春の築地 まとめ記事は → こちら
・その他、最近の過去記事は → こちら 

土曜日のブランチは・・・、
先日ちょっと書いたご近所の「ボン・ナペティ」で。

トマトとアボカドのカレー
( 1,000円 → 前回もらった割引券で800円 )

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「欧風カレー」の定番スタイルだという“前菜”のジャガイモは、カレーを待つあいだに単独で食べるよりも、このようにカレーが出てきたときに具としてライスの上に乗せてしまうほうが個人的には好き。

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ごちそうさまっっっ♪

< 築地ネタ参考 > ラーメン店の「北都」について、「覆面調査ブログ」様が記事を書いておられます。いつもながら、なるほどと思える観察眼・・・☆

さて、この週末は読書など。

またしても自分用のメモで・・・ 稚拙な内容の割には冗長で・・・ よほどヒマな場合以外は、わざわざ読んでいただくようなモノでは・・・(汗
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本日の課題図書。

『ブログがジャーナリズムを変える』 ← 基本情報はリンク先のAmazon.comで。

以下、茶色の文字が同書からの引用部分。


【 第1部 】 「放送と通信の融合を大胆予測」

ページの序盤は、昨今の(といっても本書が出た時点だから今から1年ほど前)「放送と通信の融合」についての概説。

ま、ここは適当に読み飛ばして・・・

【 第2部 】 「参加型ジャーナリズムの時代がやってきた」

・第6章「ジャーナリズムとは」:

> 私はジャーナリズムという言葉が嫌いだ。(P.79)

この主張が、著者のスタンスの根底にあるらしい。
一部の報道関係者が持つ、「本物のジャーナリストは、簡単にシロウトが真似できるような甘っちょろいもんじゃない」という自負心の傲慢さに接して辟易する経験が多かったとのこと。

うーん、報道関係者のジャーナリスト気質って、昔の文士気質と似てるのかなぁ。
文士修行を積んで文壇に入らなきゃ評価できないとか。
今は、修行どころか文壇の存在さえ気にしたことがない10代の作家が活躍してるし。

> 移り変わるジャーナリズムの定義
(中略)どちらにせよ、現在のジャーナリズムの定義とは大きく異なるような機がする。(P.84)

このへん、定義にこだわると論争が終わらなくなると思うのでスルー。ある定義ができても、それは明日には通用しなくなる・・・。

最近では、朝日新聞社が「ジャーナリスト宣言」という大々的な広告キャンペーンを展開したところ、自社の不祥事でこれを引っ込めるという恥ずかしい結末に。
しかし今の時代に、同社は「ジャーナリスト」の定義をどう考えていたのか、少しだけ興味のあるところ。( リンク:「M17星雲の光と影」様、J-CASTニュース様 )

さしあたり個人的には、「取材」と「執筆(製作)・編集」と「公表」の3点について、その意思と能力と手段が、ジャーナリズムには必要だ ・・・という程度に考えておきたい。

> それでも次のようなコメントが寄せられることがある。「足で情報をとってこなければジャーナリズムではない」「新聞記事を論評する程度のことはジャーナリズムではない」
(中略)ただしそう考える人は少数派で、多くの人は「プロのジャーナリストの中にもあまり取材せずに評論を活動の中心にしている人もいるので、評論だけのブログもジャーナリズムと認めてもいいのではないか」と認識している。(P.86)


んじゃ、もしかして
他人のグルメブログ記事を論評するだけでも“グルメ系ブログ”としてはOKかな?(笑)

それはさておき。

> 国内には約二万人の新聞記者がいるといわれる。その百倍以上の人間がブログで情報を発信し始めた。(P.87)

昨年、ブログ人口は800万人を超えたと総務省が発表したんだっけ。

プロのジャーナリストとアマチュアのブログライターをへだてる垣根は存在しても、「農村が都市を包囲する(by 毛沢東)」というか、数のうえではブログが圧倒的。

さきほどの文壇の例でいえば、同人誌に集まった修行中の文士たちは、自分の書いた文章が初めて活字になったのを見て感激していたそうな。

しかし誰でもパソコンで活字スタイルのDTPを打ち出すのが当たり前の時代には・・・

新聞に載るからエライとか、番組で流れるからエライ、と思ってくれる読者や視聴者は減る一方だろう。

毎日新聞社が紙面連動企画として、ブログで読者からのコメントを募る「ネット君臨」というサイトを設けたので興味を持って読んでいたが、新聞ジャーナリズムに対して読者からは情容赦のない突っ込みのコメントが激しいこと激しいこと・・・☆

最近はわりと静かだけど、「死ぬ死ぬ詐欺」騒動のころは特にすさまじかった。
こういった経験をすると、自称“プロのジャーナリスト”たる新聞記者は、もう二度とブログの世界に関わるまい、と固く決意するのではと(笑)


・第6章「究極のジャーナリズム」:

ここでは、米国の非営利教育機関が製作した未来予言型ショートムービー「EPIC2014」を紹介している。

現在のアマゾン・ドットコムのサイトなどでは、過去にユーザー個人がネットで入力・参照した情報をもとに、自社が扱う商品を自動的に選んで画面に表示し、ユーザーに推奨する機能を備えている。

「EPIC2014」の描く未来像は、これを社会全体に拡大して報道機関のニュース記事だけでなく企業や官公庁の発表情報、ブログ記事などを自動で収集・加工・選別して、これをユーザーの興味や志向にあわせて提供するようになる、としている。


・第8章「ニュースビジネスの今」:

グーグルニュースの登場と、その内容について説明。
たとえば「築地」のニュースを検索すると、こんな検索結果 が画面に表示される。

ちなみに筆者は今まで、このニュース検索は完全に人工知能で自動化されたシステムだと思っていたのだけど、実際はサイトの選別などをグーグルのスタッフが行っているとのこと。

> グーグルニュースの価値判断は新聞社の価値判断の集計であり、アクセスランキングは、読者の価値判断の集計である。どちらも土台部分には、多くの人間の価値判断が存在する。多くの人間の価値判断、つまり「集合知」をどう機械でまとめ上げるかだけの違いだ。グーグルニュースは、アクセスランキングに比べれば洗練された仕組みだということができる。今後こうした仕組みはさらに洗練されることは間違いない。(P.105-P.106)

これは、さきほどの「EPIC2014」と符号する記述。
そしてグーグルニュースの進化形とも思える実在のビジネスモデルが、米国に存在する「トピックス・ドット・ネット」であるという。

> 日本のグーグルニュースは600以上の情報ソースからの記事を収集してくるが、トピックスはネット上の約1万2000の新聞や、雑誌、テレビ、ラジオなどのニュースサイトなどからニュースを収集している。
(中略)2005年11月からブログの記事も取り込むことになった。(P.111)


( 筆者注: 本文の数字表記は漢数字で「六○○」などとしているが、引用する際に読みやすいようアラビア数字に直した )

といっても、あまりにも膨大な数のブログ群の中から玉石混交の情報を選別するのは大変だろうと思われるのだが、そのメソッドは興味深い。

アダルトサイトなどのスパム情報の発信を目的としたブログは除外し、60日以上にわたって更新されないブログも除外する。

> 残った約100万のブログの中から、更新頻度や、文章スタイル、人気などの基準を合わせた独自の計算式で、約1万5000のブログを情報ソースとして実験的に選出した。(P.113-P.114)

こちら に、ちょっと面白いグラフが掲載されている。
同サイトのニュースについて、ジャンル別に「ブログ」と「報道機関」とで記事の数を比較したもの。

青のバーが「ブログ」赤のバーが「報道機関などの主流メディア」
ちょっと文字が読みにくいけど、ブログのほうが記事数が多いのは左から順に「ビジネス」、「娯楽」、「生活」、「科学」、「技術」、「米国」の各ジャンル。


・第9章「米国のブロガーと韓国の市民記者」:

ネットで活動が活発化している市民ジャーナリストは、おそらく現在まだ発達途上なのだろうけど。そのルーツと現状など。
( リンク: livedoorニュース様、「シナトラ千代子」様 )

> 実は「シビック・ジャーナリズム」「パブリック・ジャーナリズム」という言葉は、新聞を核に地域社会のまとまりを高めようという運動を指す言葉のようだ。あくまでも新聞を中心にした運動だ。(P.118)

このへんは基礎知識として、あとで恥をかかないように覚えておこう。


そして何より、筆者の目をひいたのは次の部分。

> ブログを使った個人の情報発信がジャーナリズムを実践しうる、とみなされ始めたのは、2001年の米国同時多発テロからだ と一般的に言われている。
報道機関のニュースサイトがアクセス過多でパンク状態に陥る中、ニューヨーク在住のブロガーたちの発信する情報は、貴重なニュースとなった。(P.119)


筆者個人が考える、「ブログとジャーナリズム」の核心を突くポイントが、ここにある。
仮に、「米国同時多発テロ」を「阪神大震災」と置き換えて考えてみたい。

筆者も報道関係の友人・知人がいるので当時の話を聴いたことがあるが、阪神大震災のとき、テレビはもっぱら「世間一般にむけて現地の情報を伝える」ことを自らの役目と心得ていた。

これと対照的だったのはラジオで、ひたすら地元の被災者にむけて安否確認や行方不明者の捜索協力を呼びかけ続けていたという。

テレビとラジオ、被災者自身にとってはどちらが有難いメディアだったろうか?
あくまで現地の当事者の視点に立ち、それが二次的に周囲の役にも立つという意味では、全国に遍在するブログライターは後者に近い存在ではないかと思う。


上述の知人の一人は、テレビ取材班のメンバーとして現地入りしたときカメラを向けた人から「水の1本ぐらい持ってこれないのか」と言われ、心苦しいながらも「報道の使命」を自分に言い聞かせて取材活動を続けたのだとか。

そこで。

もしも被災者自身が、取材班にマイクを向けられるのを待つだけの存在ではなく、自分が1次情報の発信源として全国のブロガーと直接「つながる」ことができたら、どうなっただろう?

取材対象は、自分。
ジャーナリストとは「取材に駆けつける人」ではなく、「いつも、そこで生活している人」。
「報道の使命」は、「自分自身が生きること」。
そんな “ジャーナリスト宣言” があっても良いと思う。

「ブログによるジャーナリズム」が目指す姿のヒントを、こういった事例から考えられないだろうか。


< 蛇足 > それでもまあ、今の報道機関といえば日航機墜落事故の時のように、現場の映像から自衛隊員の姿だけは自主検閲で100%削除することを正義と心得ていた頃の「ジャーナリズム精神」よりはマシになってるかと思うのだけど・・・


ここまでが、だいたい本書前半の読書メモ。 続きは機会があれば別途☆

続きは → こちら!

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コメント

ジャーナリストと一般的なブロガーは違う、違ってしかるべきと思います。
これまたコメントすると長ーーーーーーーくなってしまうので控えますが、
つきじろうさんのこの記事で思い出したことがひとつ。
テレビとラジオの違いはその形態や仕様による役割の違いがありますよね。
被災者はテレビを見られない(家にある、壊れた、停電など)
ラジオは停電しても避難場所でも聴ける。
前置きが長くなりました
手回し発電ラジオ、買ってあるけど使ったことないのを思い出しました(汗

投稿: ロレンス | 2007年7月22日 (日) 00時12分

◆ロレンス様、

 コメントありがとうございます。ひさびさの知的活動(?)なので
 足腰が頼りなく感じており、周囲からコーチングしていただけると
 大変助かります(笑)。
 
 コメントが非常~~~に長くなっても全然OKですよ。
 むしろ、脳みそのビリーズブートキャンプでも歓迎ってとこで☆

 さてさて。

 > ジャーナリストと一般的なブロガーは違う、違ってしかるべき

 この点、やはり「ジャーナリズム」の定義が曖昧なままだと、
 「違う」の根拠を示しにくいですね・・・

 私の場合、ジャーナリストとして活動するための条件としては
 物理的・技術的な手段としての「ハード」の部分と、社会的・
 マインドセット的な「ソフト」の部分に分けて考えています。
 
 ハード面は、この記事の本文に書いた通り「取材・執筆・発表」
 が可能となる能力と手段を持てば、誰でもジャーナリストとして
 活動できる可能性はある、ということです。
 あくまでも「物理的な条件では」、という意味に限られますが。
 
 > テレビとラジオの違いはその形態や仕様による役割の違い

 現在では、これに「携帯電話向けの情報配信」も加えて考えたい
 ですね。これはハード面の話になります。
 
 そうすると、あとはソフト面の問題です。これは本人の内面的な
 心構えだけではなく、その人が社会的にジャーナリストとして
 特権的な立場を認知してもらえるか?、という話です。

 「私はジャーナリズムという言葉が嫌いだ」という著者の言葉、
 ジャーナリストの一部が持つ倣岸な特権意識の悪い面を、
 この言葉で著者は指摘しているのではと思います。

 「ジャーナリスト」に何らかの特権的な立場を認めるとすれば、
 「医師」や「兵士」を例にとるのが良いかもしれません。

 他人に対する「身体的プライバシーの侵害」や「生存権の否定」
 を、医師や兵士に対して社会が容認するのと同じ意味での
 特権が、ジャーナリストと称する人々にも与えられるのか?

 私自身は、一般市民レベルのブロガーには認められない
 「ジャーナリストだけの特権」などは、全く容認できない、
 という立場です。

 「国民の“知る権利”」をタテにすれば、殺人事件の被害者の
 葬式の場でも土足で踏み込んで遺族の泣き顔を好きなだけ
 撮影しても良い、という程度の特権意識しか持っていない
 「ジャーナリスト」の時代は、そろそろ終わりにしても良いの
 ではないかと思うのです。

 また、日航機事故の件について触れたように、救助活動を行う
 自衛隊員の活躍を「無かったこと」にすればいいとか、恣意的な
 情報操作で国民を「啓蒙・指導」する権利が、自分たちにだけ
 あるのだ、と報道機関が考えていられる時代も。

投稿: つきじろう | 2007年7月22日 (日) 03時20分

案外、「自分はジャーナリストだ」と思っている新聞記者は極一部
なのかもよ。

投稿: ろ | 2007年7月22日 (日) 03時26分

◆ろ様、

 かっこつけて「ビジネスマン」と称するより、哀愁ただよう
 「サラリーマン」と呼ばれるほうが私は好きです(笑)。

投稿: つきじろう | 2007年7月22日 (日) 03時33分

こんにちは!
つきじろう様のお宅は、カレーも美味しそうッ!だけど、
"続きを読む”から先もおもしろいっ!
それを知って"続きを読む”を楽しみに伺うようになりました。
コメント的には色々考え深く、ここで書ききれないというより、ちゃんとまとまって書けないだろう予感があるのでここでは差し控えさせていただきますが、ブログ始めて半年強、私が感じるブログの魅力の一部に、今日の"続きを読む”の内容が関連性ありそう。
これからも"続きを読む”を丹念に読ませていただきます!

投稿: midori | 2007年7月22日 (日) 18時35分

◆midori様、
 
 お恥ずかしい乱文乱筆、ご覧下さいまして恐縮です・・・☆

 私のブログは「春」の集中更新以外は「シーズンオフ」ですので、
 こういった築地以外の私生活や読書メモなども思いつくまま
 てきとーに書いてみたいと考えております。

投稿: つきじろう | 2007年7月22日 (日) 20時27分

言葉足らず(というか言葉ナシ)だったので、重ねてコメントしちゃいます。
“ジャーナリストと一般的なブロガーは違う、違ってしかるべき”と思うのは、
それを職業としてそれによって金を得ているプロの人は
より大きな責任感や高いモラルがあってしかるべき、ということです。
そうでもない人が多いようなのはつきじろうさんがご指摘のとおりですね。

800万人ブロガー、私もそうですが、大半は趣味でしょうから
何かあったら本業の仕事や私生活のことが優先になりますよね。
私もプロと同じだけの責任は背負えません。

↑midoriさんはエライですね(汗

投稿: ロレンス | 2007年7月22日 (日) 21時59分

◆ロレンス様、

 なるほど・・・。そのあたり、「続き」として本日の記事にした
 森健氏の主張につながるように思います☆

 グルメブログ界でも、お店がブログを訴えるケースが出てくれば
 ちょっと状況が変わるかもしれませんね。

投稿: つきじろう | 2007年7月22日 (日) 22時08分

この記事へのコメントは終了しました。

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